大阪市のスポーツ振興の歴史をたどれば、大正11(1922)年に第6回極東選手権大会の主管団体として設立された「大阪体育協会」に遡る。
昭和に入って、大阪市民を対象とした体育団体へと体質を変え、昭和18(1943)年に大阪市厚生協会と統合して「大阪体育厚生協会」と名称を変更。
昭和23(1948)年に、市民に体育とレクリエーションを普及奨励し健全明朗な心身の育成を図ることを目的に「大阪市体育厚生協会」として再発足され、五大都市体育協会など、市民参加型の様々なスポーツ企画・運営の中心的な役割を担ってきた。
その後、平成9(1997)年の「なみはや国体」開催を目ざした競技力の向上や選手・指導者の育成強化、平成14(2002)年のワールドカップの誘致、平成20(2008)年のオリンピック誘致などの機運の高まりの中、「大阪市体育厚生協会」と有機的に連携しながら、大阪市のスポーツ振興を図っていく必要があり、「大阪市体育協会」の設立にむかうこととなった。